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「ひとりで楽しく遊べるけれど…」

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コロナが5類になりましたね。

この3年間…本当に色々なことがありました。

非常に私的な内容になりますが、実はコロナが始まった年の4月に母親を亡くしました。


ガンで闘病していて入退院を繰り返していましたが、もう最期は近いと告げられた矢先、コロナで「面会禁止」 。姉が号泣しながらお医者様に頼み込み、一日15分の面会。

検温の度に「37度越えちゃったらどうしよう」
「自分が発熱したら、もう二度と会えないかも」
と、毎回ドキドキしたのを覚えています。

それでも、本当の最期は、主治医の先生に
「特別です。お子さん達3人、ずっと居ていいですよ」
と言われて、母は、その日の昼過ぎに旅立ちました。


あれから3年…。


ととと。
冒頭から脱線しました💦。

コロナが5類になって、マスク無し生活の始まり!
マスク無しで、お子さん達と笑いあえる、それがとても嬉しいです。

けれども、ここの所、とても気になるのは…。

目次

「他害・迷惑行為はないけれど」

身体の発達の弱さ、理解の弱さ、表現の弱さ…様々な面で、いわゆる「定型」と呼ばれる発達段階より、だいぶ手前にいるお子さんが増えてきている気がします。


コロナで大人がマスクをしてきたから?
コロナで活動や経験が制限されてきたから?
こればかりは、専門家の検証を待たなくてはなりませんが…。


そのお子さん達の多くは、他害迷惑行為をすることなく、あまりお友だちとは関わらず、
楽しそうに、一人であそぶのです。

数年前までは「気になる」と言えば他害迷惑タイプだったのですが…。

「クラスでの対応は」

トラブルなく一人であそぶお子さん…。
 

例えば「ことばの遅れ」が課題になっているAちゃん(3歳)。
関わりながら発達の様子を見ると、遅れているのは言葉だけではないことがわかります。
筋肉にうまく指令が届かず、力が入りにくい、随意に(思ったように)動かせない→両足でジャンプできない、三輪車がこげない、親指と人差し指を上手に使うことができない等の姿があります。色や数、方向なども理解が曖昧です。
発達段階としては、全体的に2歳に届くかな…という感じです。


Aちゃんは、一人で踊ったり、手をひらひらさせて楽しそうにあそびます。


特にトラブルも無いので、「ことばの遅れ」だね、と捉えられ
大人は「ゆっくり」「はっきり」名詞を伝え、
「ゆっくり」「はっきり」気持ちなどを、代弁することに力を注ぎます。


他害や迷惑行為はないから、そのままでも園生活は送れる。
彼らは彼らなりに楽しくあそぶことができている。
担任は、トラブルもないし、私たちちゃんと見ているし、大丈夫…と言うでしょう。

「本当は共感を求めている」

そんな彼らですが、こちらから、関わりを作っていくと、皆、とても大人を求めてきます。

側に来て、目を見ながら、手を繋いできます。
「見て、見て」「やって!」「一緒にやろう!」と、その目が語っています。


「保育園」というと集団の場。
大人に執着されると、大勢を見なくてはならない立場としては、動きにくい…。
本当は、大人より、お友達と繋がって欲しい…ついつい、そう考えてしまいます。


彼らはなぜ、お友だちではなくて、大人にばかりくるのでしょうか。


それは、表情などのサインや、数少ない言葉を拾って、共感してくれたり、
あそびや気持ちも、自分に合わせてくれるからです。


相手に合わせたコミュニケーションをとることは、まだ難しいけれど、
合わせてくれる人となら、コミュニケーションがとれる段階なのです。


この段階では、まず、大人との関係を充実させることが大切。
それが、次の段階…お友だちとのコミュニケーションへのレディネスを作るのです。

「ココロを守り育む」

彼らがのびのび育ち、言葉やコミュニケーションが湧き上がってくるにはどうしたらいいのだろう…。
そんな風に考えていくと、
そのお子さんを「変えよう」「成長させよう」と考えるより
「変わる」「成長する」(本人が主体的に)ことのできる
ココロを守り育むことが大切なのでは、と感じています。


その為に、と自分が普段の保育で意識していることがあります。

① 大人と共感をもって過ごす

コミュニケーションが苦手なお子さんでも、言葉の出ないお子さんでも、やっぱり共感するのは楽しい。

大人を求めるのは、大人が自分に合わせてくれるから。
大人は数少ない言葉を拾って共感してくれるから。
自分が相手に合わせるのは、まだ苦手だから。

発達がゆっくりだと「次の発達段階へ」「次の発達段階へ」と考えてしまいがちですが、
実は次の発達段階に行くためには、今の発達段階(今できること)を着実に、濃く充実させること、
豊かにすることが大切だと思います。

今できる、大人との時間を充実させていくこと、それがお友だちとの関係に発展するのです。

② 苦手なことは、どんどん手伝う!

 特に手先の不器用、身体の不器用、手と目の協応が難しいお子さんは、生活行為自体がとても大変なことです。

 そこを「もう〇歳だから、できるよね」と言われたり、苦手なのにできると設定されて「早く着替えてって言ったでしょ(怒)!」…そういう日々を重ねてしまうと、「ぼくは、できない子」と自己否定になったり、逃避しておふざけや脱走などに繋がります。

大人になっても靴下を履かせてもらう人はいません。
やがてできるようになればいいのです。
今できないことは、どんどん手伝ってよいと思います。

偏食や、触覚過敏(濡れたらすぐ着替える、泥や人工芝を嫌がる)も、無理強いは禁物!
運動や感覚が育ってくれば、自然と「自分でできるかも」という気持ちが芽生えてきます。

まずは周囲の大人はわかってくれる、守ってくれる、助けてくれる、という人や環境への安心感、信頼感を作ることが大切です。

③ 「イヤ」「やらない」を尊重する

これは、ご自身に気持ちを重ねてみるのが一番いいと思います。

自分が嫌な事を強制されたら…その時はどんな気持ちになりますか?
余計やるのが嫌になったり、逃げだしたくなったりしませんか?
強制する相手に腹が立ちませんか?

「イヤ」「やらない」を受け入れず、やることを義務化してしまうと、反発や逃避を作り出してしまいます。嫌な気持ちを強化してしまいます。

逃げ道をちゃんと作ってあげること、逃げることを認めること。とてもとても大切なことです。

「イヤ」「やらない」を言えずにごまかす姿は、おふざけや妨害行為につながります。
やって欲しいと願っている人に「イヤ」「やらない」を直接言うのは勇気のいること。
「イヤ」「やらない」を伝えてくれたら「ちゃんと伝えてくれてありがとう!」とお返事したいと思います。
自分は「イヤ」「やらない」を受け取ってくれる大人、と認識される人でありたいと思います。

④ できなくても、失敗しても大丈夫、みんなと一緒じゃなくても大丈夫、という安心感を作る

身体の発達が未熟だと、
着脱に時間がかかる、ぐずる、食べこぼしが多い、気が散る、おふざけ…
注意されるポイント、叱られるポイント満載です。
けれども、注意される、叱られる、を積み重ねると…。


それがその子の発達段階で仕方のないことなら
「大丈夫、先生が手伝うね」
食べこぼしが多くても、文句や小言は一切言わずにさっと片付けてしまいましょう。

一斉活動ができなくても「そういう時もあるよね」「ここで一緒に見ていよう」「大丈夫」。
後ろめたさを持たずに見学できることが、次へのチャレンジに繋がります。

「やって欲しかったな」「皆はできたのに」となると、
「あーあ、ぼくは期待に応えられなかった」「みんなと一緒にできなかった」と、
次へのチャレンジの壁が高くなってしまいます。

言ってしまいそうになるけれど、ぐっと飲み込んで!

ちなみに…

私もみんなと一緒は苦手
 →だから正規職員にならず、契約職員として加配をやっているのかも?

子どもに明日の予定を聞いておきながら忘れたりして「言ったのに!」と子どもに怒られます。とほほ…。
 →私も「できなくてもいいよ」「忘れちゃってもドンマイ!」という安心感が欲しいです(笑)。


安心して過ごせる、共感のある毎日は、ココロも脳も活性化!(不安や恐怖では委縮!)
それによって、何かが湧き上がってくる源のようなものを育めたら…と思うのです。


ただ、実践するには、苦手に気づく、「イヤ」のサインを受け取る、発達段階をつかむ…必要が出てきます。


これは…宇佐川研のケーススタディに参加しなくちゃ(笑)💦。

保育士にゃーの、学びはまだまだ続きます…。

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