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見続ける力

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見続ける力

目が合わないわけではないが、園の先生へ挨拶をする時、娘の目はいつも違うところへ向いている。私が話している時も、私の目を見続けることができない。見続けるってなんでこんなに難しいんだろう?

そもそも見えてる?

テレビを見ている時に眉をひそめたりすることはないし、遠くから呼んでも気付くので見えていないわけでもない。もちろん3歳児検診で引っかかったことはない。

宇佐川研で教えてもらった、顔を動かさずに指先を目線で追うのもやってみたことがある。どうやるかと言うと、向かい合って顔の中心あたりから人差し指と中指を立てたまま上に動かし、またゆっくり中心に戻る。今度は下、そして左右、斜め上、斜め下…など中心を越えて見続けられるかをやってみた。

私は、娘の興味を持続させるために、ペロペロキャンディを使って見続けられるかという遊びにしてやってみると、娘は意外と一度も目を離すことなく見ることができた。

そういえば

ただ、思い返せば「そこのリモコン取って」と娘に言っても指差した方向は見るのに見つけられないことがよくあった。それは、きっと名称と実物を頭で思い出すのにも時間がかかっていたのだろうし、数ある中から対象物を見つけることが難しかったのだろう。

なぜ顔を見続けるのが難しいのか?

そもそも見続けるには、注意(興味)をそこに持続させておく必要がある。

挨拶する場面で、恥ずかしさから顔を見られないこともあるのは容易に想像できるが、パターンとして園についたら門の前で「おはようございます」と言っているだけで、興味は園庭に咲く花なのかもしれない。もしくは「愛しの○○くんと何して遊ぼうか?」で頭がいっぱいなのかもしれない。結果、娘の興味は、挨拶より他にあるのだとすれば、先生の顔を見るメリットは娘には全く持ってないのだ。

私が怒っても、怖くて顔が見られない。自分自身やましい気持ちがある場合も同様だろう。意外と娘が嘘をつく時にかえって目が合うのは、大人も同じ理由かもしれない。

注視できないと困るの?

では、見続けることが難しいと、どんな困り事があるのだろう?例えば、小学校での音読の時間、次の段落へうつると、どこまで読んでいたかわからなくなるかもしれない。

他にも黒板の文字をノートに写す際、どこまで書いたかわからなくなる。娘は、まさに今ひらがなを見て書くことにハマっているが、半年前までは書き写せないので、なぞりたいと言っていた。

ボタンを留める、靴を履くなどの日常生活でも見続けられないと、できないことがたくさんある。

最近では、体操の習い事でダンスの時間があったが、動作模倣はまさにお手本の先生の動作を見て、覚えて、それを自分で再現しなくてはならない。見続ける力がとても重要である。

注視できる力を伸ばすために

見続ける力を伸ばすために、宇佐川研で教わった知識から「平衡感覚と眼球運動」のつながりを改善する運動が必要だと思いました。

眼をコントロールするために必要な「動眼神経」と「平衡感覚」のつながりを改善すること。また、見るために必要な頭の安定を図るためには、体幹機能の向上も図る運動を検討していきました。

そのような都合の良い運動となると、やはり研究会で教わった「バルンポリン」にいきつきました。一石四鳥くらいの運動効果をねらえるのだと改めて気づきました。

そこで私は、バルンポリンをしながら「色探しゲーム」を娘としていた。身体が上下に動いている中、赤色の物を探すというゲームだ。工夫すれば、赤色は何個ある?に変えたり、丸くて赤色の野菜は何だ?など、クイズ形式にしたりするなどして、バルンポリンの時間も増やすことができた。

注視できると

おかげでひらがなの模写ができるようになり、愛しの○○くんへのお手紙を自力で書けるようになり、明日幼稚園に行くことへの活力にもなっている。私は字が書けることを目標としているわけでは決してないが、注視する力があると、お友達とのトラブルを回避できたり、お友達と仲良くできることで園での時間を楽しく過ごすことができるかもしれない。

我が子のつまずきの原因がどこなのかを見極め、アプローチできることは、学ぶという大変さはあるけれど、確実な成長につながると娘を通して実感しました。

家庭で取り組めることがあるというのは、月に一度の療育活動を待つだけでなく、日々の娘の成長を実感でき、母としても心を落ち着ける日々になっています。

まみむめママ

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