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基礎感覚
支援のいろは
先輩ママ・支援者コラム
『初開催・奈良宇佐川研 ~育てにくい子にはわけがある~』
秋の発達フェスタin奈良2Daysが終了いたしました。
関西発達臨床研究所さん、阪奈発達学びの会さんとの共同開催をいただき、日本のはじまりの土地とされる橿原市で、まさしくこれから歴史的な発達支援の連携が図られるような二日間となりました。
日本全国から奈良まで宇佐川研の仲間が駆けつけてくださり、オンラインでも全国からログインして頂き開催することができました。
目次
育ちにくい子の背景
今回、第一部は宇佐川研会長の木村順より「育てにくい子の背景理解」として様々な視点からお伝えしました。
まず最初は、「健常児」って何?という、えっ、どういうこと、というお話から。
「定型発達児」というのが一般的ですが、結局どんな子なのか見えてこないものです。少し言い方を変えると「標準発達(≒平均値で育っている)児」、いわんや「粒ぞろいの子」だから定型と定義づけてみると少し理解しやすくなるかもしれません。
「〇歳□ヵ月頃(時期)には△△ができる(発達状態)」という標準(平均)値、だから「生活年齢」という尺度だけを見て、「保育・教育プログラム」を作ることができることになります。
粒ぞろいだから、「一斉指導(保育・教育)」が可能で、「集団指導(保育・教育)」に意味をもたせることができるのです。
でも、気を付けないといけないのが、
「一斉」を「一律化(足並みそろえて一糸乱れず」にさせてしまうこと。
「集団」を「画一化(例外は認めません)」にしてしまっている現実があります。
一律化、画一化された過酷な環境の中でさえも育つ子を健常児と木村は名付けてみました。
木村流の口の悪い言い方をすれば、健常児は
①子どもの気持ちもくみ取れず
②創意工夫の努力もせず
③通り一遍の指導しかせず
④感情的に怒鳴っていることすら自覚しないような先生の元でさえも育つことができる子を言うんではないかと(もちろんそのような指導者は一部であることは分かっています)。
では、その健常児が、知的な遅れが無いのに、身体の麻痺も無いのに、視力の問題も無いのに、聴力の問題も無いのに、目の前の状況にうまく適応できない子が増えているのはなぜなのでしょうか。
適応力(その時・その場・その状況に適応する力)が崩れている背景に「基礎感覚」の発達の崩れがあるというわけです。
理性や意欲、思考力といった重要なはたらきをしているのが脳のなかでも前頭葉という部位です。その前頭葉にとり大切な栄養となるのが感覚の情報です。
聞く力の土台に触覚のはたらきが必要だったり、見るための眼球運動を支えているのはへいこう感覚だったりと、ふだん意識していない感覚が実は大切な役目を果たしているのです。
この無意識的に使っている3つの感覚(触覚・平衡感覚・固有感覚)につまずきがあったとしたら、子どもたちが困っていることすら気づけず、そしてその困っている症状の本当に支援すべきポイントを見誤ってしまうことになります。
育てにくい子とされるお子さんの4大症状に全て基礎感覚が影響しています。
「4大症状とは」
① 「覚醒レベル」の下がりやすいという状態像
② 触覚防衛反応は、共感性の発達を阻害
③ 平衡感覚機能の反応の鈍さ(低反応)という状態像
④ ボディイメージ未発達という状態像
覚醒レベルが下がりやすいことで「癇癪」「注意が向けられない」「判断力低下」
触覚防衛反応により、愛着の形成不全、共感性の育ち辛さ、他害や偏食
平衡感覚の反応性の低さから、多動、姿勢の崩れ、眼球運動未発達(読字、球技の苦手さ)、覚醒の低さ
ボディイメージ未発達から不器用さ、模倣の苦手さ、自己有能感の低下など
があげられます。育てにくさの症状に追い回されるばかりでなく、その背景に何が原因となっているのかを見極める眼が必要となるわけです。
1秒からできる自立活動
第二部は、宇佐川研代表の植竹より、「1秒も無駄にしない自立活動の実践」として身体の発達の仕組みと簡単な解剖学的な解説と実技をお伝えして参りました。
これは第一部の育てにくい子の背景にある基礎感覚の未発達に対するアプローチでもあります。
前日の講座では、元文科省の調査官でいらっしゃった、下山直人先生より「知的障害教育の自立活動」として自立活動の大切さを改めて学ばせていただいたところです。
自立活動って何をしたらよいの?時間が無い、道具が無い、人がいない(教員が足りない)、などよく聞く悩みに対して、「1秒あればできること」も取り入れながら、その場で自分の手で、目の前の方の身体が変化する実践練習をして頂きました。
バルンポリンの実践では、基礎感覚の中でも前庭覚(平衡感覚)がいかに身体を使いやすくするためにはたらいてくれているか、二人組になり実践。
跳ぶ前と跳んだあとでコアがはたらき足が上げやすくなったり、バランスをとりやすくなったりと参加者さん同士の実践で体感。
そして、同じような高さや強さで跳んだとしても感じ方は人それぞれ違うということも、大勢で実践することで気が付くことができたように思います。
「キャー楽しい」という方に対して、「わっ、怖い、このくらいがいい(小さく揺れる)」など。
感じ方が違うからこそ、感じて出力される運動に変化が表れること。感じ方が鈍いことで激しい行動になってしまうお子さんの背景に気づいてあげられるきっかけに。
より強く感じてしまうから、行動が消極的にならざるを得ないことに気づくことができるきっかけになったかと思います。
そして、1秒でできる実践として、「療育整体」で現在全国でご指導されている松島眞一先生のアプローチ方法の一つ、腕神経叢へのアプローチからの姿勢改善。
ほんの一瞬、橈骨神経と尺骨神経へのアプローチで骨軸で上肢を支えらえるように。
あまりにも一瞬すぎるできごとに会場は声を失ってしまっていましたが、実際に実践してみると「おぉ、本当だ」と驚きの声が。
1秒で2本の手だけでできる自立活動の取り組みがあるんです。
私も、毎朝スクールバスから降りてきた児童に対して、「お・は・よ」と挨拶しながら取り組んでいます。
たった、これだけでも年間200日毎朝学校で取り組めれば、成長を積み重ねることができると思っています。
全国の宇佐川研のお仲間も、現在各地で松島先生より学ばれているところですが、ぜひ1秒お無駄にしない子どもたちとの大切な学びの時間にしていってくださればと思います。
さらに、指先や手のひらを整える実技、過敏ではなく鋭敏な手を育てる実技を通して、ほんの3分程度取り組むことでペットボトルの重さが軽くなるがごとく、手や腕がつかいやすくなることを実践練習して参りました。
自分の手の中に、目の前のお子さんの身体が使いやすくなることができる力を宿すことは、実践家としてなによりも自信につながるものだと思っています。
how-toは重視していませんが、根拠に基づき、ねらって目的に合わせて実践できる力はどのような職種においても少しはもっていることでお子さんとも良い関係性が築けるものと思っています。
今に命を宿す授業実践(ケーススタディ)
第3部では、阪奈学びの会、代表の深田先生よりケーススタディの発表をいただきました。
重度心身障害児のお子さんとの、まさに命を守りつつ、お子さんの「今」に命を宿すような実践。それでも尚、これで本当によいのか?
この子の「豊かさ」とは何であるのか?
参加者一人ひとりが自分事と捉えて、お子さんの支援を考えていく時間となりました。
木村順からは3点のアドバイス
① お子さんの身体の自由度はどのくらいあるのか?
② ポジショニングについて
③ コミュニケーション手段の確認
④ お子さんの本来のキャラクター理解
⑤ 覚醒レベルの把握(お薬の副作用からら)
印象論で語ることも時には必要ですが、何となく思うという点について、ではなぜそのように思うのか「仮説立てと検証作業」が欠かせません。
その際に、不明確な目標やねらいでは、検証もできなければ改善も今一つ進まないわけです。
非常に読み取りが難しいお子さんだからこそ、細かな視点まで、しぐさやまなざし一つ一つを発達的に意味づけながら考えていくことが大切なのだと思います。
植竹からは学校教育という場で「学ぶことの意味」について前日の浜田寿美男先生から10年前に教わったお話をお伝えさせていただきました。
私たちは明日身に着くはずの力は私たちは使えません。
今ある力で生きています。その今ある力で何をすることが大切なのか?
自分の力が誰かの役に立つ経験。「すごいね、頑張ったね」と言われることよりも「ありがとう、助かった」と純粋に今その子が持てる力を誰かのために発揮できるような学びの場が学校にあるのか?
詳しくは10年前の内容ですが、こちらからお読みください↓
奈良宇佐川研は、関西発達臨床研究所の高橋先生の呼びかけと、日ごろから一緒に学び合ってきた阪奈発達学びの会の深田先生の御尽力で開催することができました。
そして、全国からかけつけてくださった、全国の宇佐川研の仲間、そして奈良の方々のおかげです。
各地域は各地域の支援者の力なくして良い支援を広げることはできません。でも一人では頑張り続けることは困難です。
そんなとき仲間の存在、支えが必要となります。奈良宇佐川研にご参加いただいたみな様本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
参加されてのご感想などぜひコメント頂けたら幸いです。
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